HOME 個人情報について
兵庫県教職員組合

兵教組ニュース

<<          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 >>

阪神・淡路大震災18年 児童・生徒、教職員 - 追悼の夕べ -

阪神・淡路大震災18年 児童・生徒、教職員  - 追悼の夕べ -
阪神・淡路大震災18年 児童・生徒、教職員  - 追悼の夕べ -
阪神・淡路大震災18年 児童・生徒、教職員  - 追悼の夕べ -
神戸市立桂木小学校合唱団による追悼の歌で始まり、黙祷をおこないました。その後、泉雄一郎執行委員長と大西孝兵庫県教育長が「1.17への思い」を語り、今後も、震災の経験と教訓を生かし、兵庫だからこそできる東日本など各地への継続した支援にとりくむととともに、防災文化の創造と防災教育の充実をはかっていくことを参加者とともに誓い合いました。
後半は、メモリアルコンサートとして、「Ding Dong Ringers」によるハンドベル演奏、西宮支部の松田直樹さんの語り(一部を下記に掲載)と「アンサンブルROOMs」によるマリンバアンサンブル、最後に全員で「しあわせ運べるように」を歌い、幕を閉じました。

<松田さんの語りより>
当時、西宮市内の小学校で5年生を担任していました。新任4年目で、ようやく学校の仕事の様子が分かってきたころでした。
1995年1月17日、起床していた私は突然大きな揺れを感じました。幸い、自宅は本棚が倒れた程度で、大きな被害はありませんでしたが、テレビで見た映像は衝撃的なものでした。「学校はどうなっているだろうか。とにかく行ってみよう」と明るくなるのを待って学校へ向かいました。
学校に着くと、門の前に数人の方が待っておられました。門を開け、一緒に校内に入りました。体育館はたちまち一杯になったので、他の教職員とも手分けして教室の鍵を開けて行きました。机はばらばらの向きに散らばり、テレビや重い棚が倒れて酷い状態、ブラウン管や花瓶が割れて散乱していたのでまず掃除をし、室内を整頓しました。近所の方が次々と学校に避難してこられました。
児童の安否確認をするうちに、私の担任するクラスの一人の男の子が酷いけがをしたらしい、という情報が入ってきました。急いでその子の家に行ってみると全壊、屋根だけになった家を見て、体中が震えました。どこかの病院に行っているはずだと探しているうちに、学校近くに入院していることが分かりました。すぐにその病院にかけつけました。
けがをされた多くの人の中を探していると、その子のお母さんの姿が見えました。けがをして車いすに乗っていたお母さんは、「先生」とおっしゃった後は言葉にならず、泣き崩れられました。何があったのかと思いましたが、その後、男の子がいる部屋に入ってみて、全てが分かりました。
お母さんは、
「顔を見てやってください。体をさわってやってください。」
と言われました。手も足もまだ暖かです。お母さんの話では、たんすが額の上に倒れてきたとのことでした。体はほとんど無傷なのに額だけが傷ついていました。その子は運動が得意な子で、陸上のリレー選手として市内の大会に出場していました。1月末に予定されていたマラソン大会にむけても自主的に練習していました。その年の目標を書いた書初めに「マラソンをがんばる」と書き、とても楽しみにしていました。クラスのみんなに愛され、慕われている存在でした。その子が。自分の担任の子どもが命を落としてしまった。ショックは強く、自分の体の震えは止まりませんでした。
数日後、ようやく大阪府内で葬儀をおこなうことができました。大阪府内は西宮とちがい、震災の影響はほとんど感じられません。町はいつもどおりに動いていました。葬儀が終わった後、お料理と少々のお酒をいただきました。震災直後からずっと学校に詰めていたので、大変おいしく感じました。お父さんにその事を話すと、「先生、それでいいんです。生きているからそう感じられるんです」そして、こうもおっしゃいました。
「優しい息子だから、家族の身代わりになってくれたんだろうなと思っています。」

その時の学年は引き続き6年生でも担任しました。クラス替えはあったものの、子どもたちは亡くなった男の子をクラスの仲間としていつも気にかけてくれ、本当に心優しい仲間でした。「生きていることが何より」そのことが強く心に刻まれた私は、担任として指導が甘くなってしまう場面もあったかもしれません。しかし、「無事に学校に来て、学級にいてくれる」ことは当たり前のようだけど、尊いことであるということは強く感じたことですし、また、いつまでも忘れてはいけないことだとも思っています。

全国から受けた支援を何らかの形で返したいと思い、できるだけボランティアに参加しようと思ってきました。海洋汚染の事故、豪雨による災害、一昨年は東日本大震災の被災地。しかし、行く度に感じたのは自分の無力さです。自分はボランティアの期間が終わり地元に帰れば元の生活に戻れる。しかし、被災地の方々は被災の現実から逃れることができない。
東日本大震災の津波の被害は、阪神・淡路の被害とは異なった厳しい現状がありました。何もかも波がさらっていった被災地の状況は強い喪失感がありました。津波に直面した人はどんなに怖かっただろう。復興していくには大変なエネルギーがいるだろう。初めて被害の実態を見た私は、やはり体の震えが止まりませんでした。16年前と同じでした。
現地での活動中も地元に帰ってからも考えていました。被災された方々に自分に何ができるのだろう。はっきりした答えはありませんでした。でも、一つだけ思っていることは、被災地のことを決して忘れないようにしよう、いつも心にとめておこうということです。
これからも自分がかかわる子どもたちには、仲間を大切にし、命の尊さを感じながら学校生活を過ごしていくよう、一緒に考えていきたいと思っています。

ひょうご教育フェスティバル(第62次兵庫県教育研究集会)開催

ひょうご教育フェスティバル(第62次兵庫県教育研究集会)開催
ひょうご教育フェスティバル(第62次兵庫県教育研究集会)開催
ひょうご教育フェスティバル(第62次兵庫県教育研究集会)開催
11月10日(土)~11日(日)の2日間、川西市において「ひょうご教育フェスティバル(第62次兵庫県教育研究集会)」を開催し、延べ約5,100人(うち、保護者・地域の方・子ども等は約700人)の参加を得ました。本集会は、「開かれた教研」として8年目を迎えました。

全体会のオープニングは、地元川西の小・中学生による躍動感あふれる“ヒップホップ&ジャズダンス”。
記念講演は、沢知恵さん(歌手 コモエスタ・ともえ基金代表)をお招きし、「ありのままの私を愛して ~沢知恵ピアノ弾き語り~」と題しておこないました。圧倒的迫力のピアノ弾き語りで世代を越えて支持されている沢さんの歌には、人権、多文化共生など多方面にわたる多くのメッセージが込められていました。

分科会は、第1分野「子どもを中心にすえた 楽しい学校づくり」、第2分野「地域と手をたずさえて 子ども・保護者の願う教育改革」と特別分科会「生きる力を育む教育」の24分科会で構成し、分会教研、支部教研へと積み上げてきた教研活動の実践を交流しました。今次教研には399本のリポートが提出されましたが、そのうち保護者・地域からも過去最高となる32本のリポート提出がありました。

記念事業の「子どもの育ちを考えるシンポジウム」は、(財)こども教育支援財団との共催で、テーマを「生命と心の教育について -発達障害を中心に子ども理解をいかにすすめるか-」として開催しました。今回はグループ討議もおこない、子ども理解をいかにすすめ、子どもの権利をどのように守っていくかを語り合いました。
ステージ発表・子ども体験発表は、両日の昼休みの時間に開催しました。「和太鼓演奏」「クラウンパフォーマンス」「民舞ステージ」「サイエンスショー」「沖縄エイサー」が発表されました。
展示・体験コーナーでは、ボランティアの参画や諸団体の協力を得て、「自然素材を使った木工クラフト」「夜間中学校に学ぶ人々」「平和パネル」「ジャグリング体験」「フラワーアレンジメント」「折り紙体験」など阪神地区の特色あるコーナーも開設しました。また、「親子料理教室」「スタンプラリー」も実施し、多くの子ども・保護者の参加がありました。

私たちは今後も、創造的な教育研究活動の定着・発展と、保護者・県民の信頼に応える教育力量の向上をめざして、「いきる つながる みちひらく ~自立と連帯・共生の学びと教育~」をメイン・テーマに教育研究活動をすすめていきます。
ご支援・ご協力をいただいた皆様に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


速報・情宣「りんどう」ページはコチラ

第35回平和教育実践交流集会

第35回平和教育実践交流集会
第35回平和教育実践交流集会
第35回平和教育実践交流集会
午前は福崎町内の中学校で、10年前から続けられている「おじいさん・おばあさんと語ろう~戦争体験・昔の暮らしをたずねて~」の授業を参観しました。戦争当時の生活の様子やその時代を生き抜いた人々の思いを伝えるゲストティーチャーの一言一言が、子どもたちのみならず、参観させていただいた私たちの心にも響きました。会場の体育館の壁面には、各小・中学校の平和教育の実践が掲示されました。
参加者からは、「授業を参観し温かい気持ちになった」「教科書や資料集では伝わらない生の声を、体験にもとづいたその時の思いを共有することができたのではないか」「お年寄りのみなさんは、子どもたちに伝えたいという使命を持って臨まれていることを強く感じた」という声が参加者から出されました。

午後からの集会では、主催者からの基調提案の後、「神崎支部」のとりくみが報告されました。元兵庫教育文化研究所 平和教育部会の高見祥一さん・本田芳孝さんからは、平和教育資料『つながりのなかで』について講話をいただきました。各地区交流は、8つのグループに分れて、各地区での平和教育のとりくみの情報交換が活発になされました。

戦後67年が経過し、戦争体験者の割合は、どんどん少なくなってきています。戦争体験を、次の世代へ語り継ぎ、史実と真実の探求をとおして、平和を守る教育を構築していくことは、わたしたちの重要な役割であるという思いを新たにしました。

第39回教育課程編成講座開催

第39回教育課程編成講座開催
第39回教育課程編成講座開催
第39回教育課程編成講座開催
第39回教育課程編成講座を、ラッセホール・神戸市教育会館において、本年度は試験的に1日開催とし、前・後期あわせて600人を超える参加がありました。
分科会は、前期(課題別分科会)・後期(教科系分科会)ともに、10ずつの分科会に分かれ、第61次全国教研の還流、実践交流、ワークショップ、実技講習等多彩な講座を実施しました。

前期の講演会では、桂 正孝さん(宝塚大学・人権教育部会協力研究所員)が「これからの人権教育のすすめ方~その視座と実践的課題とは~」と題して講演をおこないました。
桂先生からは、人権という視点から、グローバル化時代における日本の課題について、経済・政治・教育などの多方面から、私たちが考えるべき方向性について提起がありました。

後期の講演会では、岡部 恭幸さん(神戸大学・算数・数学教育部会協力研究所員)が「活動に培う確かなわかり~算数的活動を軸にした授業づくり~」と題して講演をおこないました。
岡部先生からは、子どもの習得と探求を活用でつなぐための具体的な授業のとりくみによって、確かにわかる授業のあり方について提起がありました。

昨年度の小学校に続き、今年度は中学校でも新学習指導要領が完全実施となり、それぞれの学校において、創造的な教育課程を編成することは、よりいっそう重要な課題となっています。編成講座での学びを生かした実践をすすめ、今秋の第62次兵庫県教育研究集会においてさらに討議を深めます。

兵庫教育文化研究所 第68回運営委員会・第83回研究所員会議 開催

兵庫教育文化研究所 第68回運営委員会・第83回研究所員会議 開催
兵庫教育文化研究所 第68回運営委員会・第83回研究所員会議 開催
兵庫教育文化研究所 第68回運営委員会・第83回研究所員会議 開催
兵庫教育文化研究所 第68回運営委員会・第83回研究所員会議を開催し、研究所員・協力研究所員・各支部教育研究委員会(教育研究所)の代表等136人が参加しました。

運営委員会では、泉雄一郎 新所長のあいさつに続き、事務局から「経過報告」「本部研究所の2012年度のとりくみ」等について提案があり、メイン・テーマを「いきる つながる みちひらく ~自立と連帯・共生の学びと教育~」(2009~)とし、研究体制・研究内容のさらなる充実をはかりながら、教育改革の実現をめざした教育研究運動をすすめることを確認しました。特に、第62次兵庫県教育研究集会にむけたとりくみとして、「職場を基盤とした分会教研の活性化」「『兵庫の教育第61集』の活用」「全指定分科会への傍聴参加体制の確立」「防災文化・防災教育の創造に関するリポートの積極的な提出」「全支部からの地域リポーター選出」「『全国教研リポーター選出の原則』の見直しと徹底」等の意思統一がはかられました。また今年度は、第39回教育課程編成講座を試験的に1日開催することも承認されました。

教育講演会では、教育課程部会協力研究所員の佃 繁 さん(プール学院大学)が、「参加型プログラム『マイ・ポテト』から考える -ソーシャル・キャピタルと教育」(※ソーシャル・キャピタル…社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを表す概念)と題して、知識社会の本質、競争と協働の問題等について講演をおこないました。参加者からは、「つながりの重要性を再認識した。ソーシャル・キャピタルはインクルーシヴ教育と大きく重なると感じた」「『できない』ではなく『できるよ』という気持ちで子どもたちに接していきたい」「社会や経済等切り口は違っても、めざすところは『仲間づくり』『関係発達』という私自身のテーマと重なる面が多く、今後の示唆をいただいた思いがした」などの感想が寄せられました。

研究所員会議では、19の部会(教科系10部会、課題別9部会)に分かれて、それぞれの研究課題や年間計画等について話し合いました。
また、ラッセホールに設置している「震災資料室」の充実をはかるため、学校防災教育推進計画や東日本大震災にかかる現地校との交流資料等の収集にとりくんでいます。ご協力お願いします。

>>過去のニュース記事はこちら